モスクワ散策

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05雀ガ丘とモスクワの秋葉原と和食

3日間のモスクワ滞在、あれこれ散策したモスクワとその印象です。

今回のトラベルプラン(フル2泊4日)

Date Schdule in Moscow Hotel
2009年11月21日(土) Dep. 04:50 Tashkent (SU164)
Arr. 07:15 Moscow-Sheremetyevo2
The Red Square, GUM, Tverskaya ul. , etc.
Maxima Hotel Zarya
2009年11月22日(日) Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection), Cathderal of Christ th Caviour, ul. Arbat, Evropeisky SC., etc.
Maxima Hotel Zarya
2009年11月23日(月) Novodevichy Convent, Moscow State Univ., Gorbushka Market, etc.
Dep. 21:00 Moscow-Sheremetyevo2 (SU163)
On board
2009年11月24日(火) +1 Arr. 03:05 Tashkent  

参加者:4名(中央アジア・ユーラシア地域と開発研究会)

1985年の旅程(USSR1985)はこちら

日本人は世界遺産大好き「Novodevichy Convent(世界遺産)」

日本人は本当に世界遺産が大好きである。NHKの番組を見ればわかりますね、こんなに放送しているとは思いもよりませんでした。そして海外旅行を後押ししているんですね。

それで、この季節、閑散としたノヴォデヴィチ女子修道院の前に黒い観光バス、フロントガラスをよく見ると「クラブツーリズム、ザンクトペテルブルグとモスクワ8日間の旅」という日本人観光客のツアーでした。

この修道院はあまりにも予備知識が無く、同行者の意向に任せたので私的には連れて行ってもらったようなもの。もうちょっとガイドブックを読んでいれば、「地球の歩き方」でも持っていれば少しは予習が出来たかもしれないが、やはり、私は買えなのですね、このガイドブックを。

少しだけwikiより:
1524年に、モスクワ大公国時代に創建された。モスクワ大公・ヴァシーリー3世の命によって、建設が開始されたこの修道院は、1514年に、スモレンスクがモスクワ大公国に併合されたことを記念して建てられた。修道院は、モスクワ川の湾曲部における要塞の役割を果たしていた。これは、他の修道院も同じような役割を
持っていた。

チェーホフ、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ショスタコーヴィチ等の著名な作家や音楽家がこの修道院付属の墓地に眠っている。政治家では、フルフチョフ、エリツィンも然り、ただ、このような説明がガイドブックにあったが、寒かったしそこまでは足を伸ばす勇気が無く、地下鉄駅前の小奇麗なカフェで温まりました。

NHK世界遺産
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/

モスクワ国立大学と雀が丘

そのカフェで次のスケジュールを皆で話し合い、当初予定通り、雀が丘のモスクワ国立大学を目指したのでした。よりにもよって、この季節でしかもお天気も良くないのに、また吹きっさらしを目指したのでした。

地下鉄、大学駅で下車、地図を見ると近いが広大な敷地にあるロシア最高峰の総合大学ゆえ、広い広い、15分は歩いただろうか。駅の周辺には新興住宅が建設中でした。

1985年にもここへ来たんだよね、そのときは夏、そしてマリーナと一緒だったからほとんど考えずに大学本部の近くまでバスで来たのだ。またまた寒い中を本部ビルまで歩いた。そこに見えているのだが実際にはまだまだって感じだったな。

本部はスターリン様式の威圧的な建築物、周囲に高い建物が無いので余計に象徴的に写ります。構内への突入を試みたのですがさすがに入管証がないと今時の大学は入れませんね。

モスクワ国立大学は、正式名称をM. V. Lomonosov Moscow State University、露語では長いので、略称だけ、「МГУ」、エム・ゲーウーと読みます。縁も所縁もありません、ただ、マリーナと一緒にモスクワ観光の一つとして訪れただけ。

でも、あの時は静かだったな、緑が初々しく・・・、共産主義時代のよき夏の思い出だ。そのときも雀が丘からモスクワ市外を一望し、モスクワオリンピックの競技場が眼下に眺められた。

今回も寒々とした中、精力的に我々は歩き、地下鉄駅から本部ビルへ、更に、展望台まで歩いたのでした。そこは寒風吹きすさむ、以前と変わりない光景でしたがあの夏の時のように長居は出来ませんでした。

http://www.msu.ru/

私の夏の思い出を見たい方はこちらへどうぞ。
http://1985.iio.org.uk/ussr/moscow_marina.htm

旨かった!スプートニクホテルの青空(日本料理)

展望台は寒く、とっても長いが出来る環境ではなく、ここから更に駅に戻る元気も無く、タクシーでスプートニクホテルにある日本料理レストランでランチをとることにした。初日は大外れだったので今度は外せないのだった。気の利く同行者が某商社から聞き取っていたのだ。

日本人シェフがいると聞いていたので並以上であるとことは期待していた。ランチの時間帯だったので、ビジネスランチを注文、更に、半味噌ラーメンも追加注文した。もうメニューを見ただけで感動物でした。

どこかの国ではメニューはただの日本食記述であって必ずしもその内容の食事が出てくるとは限らないのだだった。久しぶりに食べた本格的な日本料理、旨かったの一言。今度はあぶり寿司を食べに来たいと画策している。

シェフはイチロウさんです。後日、このランチのことをmixiに書いたら、イチロウシェフがその日記を見つけてコメントをいただきました。彼によると現在モスクワの日本人シェフは15人だそうで、500店舗といわれる日本料理レストランはどうやってるのでしょう。

モスクワでは一押しの日本食料理レストランです。

青空 (Aozora), Sptnik Hotel
http://www.aozzora.com/index.html

英語版へ飛ばないところを見るとまだ準備中だろうか。

モスクワの秋葉原Gorbushka Market

日本料理を食べて満足感に浸っている間もなく、この日の最後のスケジュールである「モスクワの秋葉原」であるガルブーシュカへ行った。スプートニクホテルから距離的にはさほど遠くは無いのでこれまたタクシーで行くことにした。

タクシーを拾うのに苦労したが、皆(同行者4名)で一台に乗車して高速道路のような高架道路をビューンと走って電気製品の巨大な看板が目に付く建物の前で降りた。丁度、下車したところにカレフールこの先左400mの看板を見つけた。あるとは聞いていたがここだったのだ。

ガルブーシュカは地下鉄4号線、キエフスカヤ駅から4駅目、バグラチオノフスカヤ駅徒歩5分にある、元家具工場を電化製品専門のショッピングセンターにしたもの、大家はモスクワ市役所。1階がハードウエア、2階が音楽、ソフトウエアの売場となる。とにかく巨大だ。ガルブーシュカ「GORBUSHKIN DVOR(ガルブーシュ
カの庭)」というのが正式名称、日経にも「BRICs報告ロシアの秋葉原」として紹介された。

iphone を買うつもりで行ったが、3G8GB(R.23,000), 3G16GB(R.26,000), 3GS16GB(R.29,000), 3GS32GB (R.34,000)とかなり高めだったので差し控えた。音楽CDはR.250から、中身を見たところ海賊版のようだ、それならばちょっと高いなー、東南アジアと比較するとそうなる。

http://www.gorbushkin.ru/

帰途、シェレメツェボ2へ

一通り予定していた滞在先をこなし、キエフ駅前のEvropeisky SC.のスーパーマーケットで買い物をして、来たときと同じルートでベラルーシ駅からAeroexpressに乗車、シェレメツェボ空港へ向かった。18時台のAeroexpressは30分毎ではなく一本抜けているのでしばらく待つことになった。

よって遅めのチェックインを済ませ、搭乗口へ行く。ここのセキュリティで優れものに出会った。全身スキャンなのだ。ロシアのこういうところに惜しげもなく投資するところはチェチェン問題などテロを抱えている国ゆえと理解すべきなのだろうか。

その前に手荷物検査で水のボトルが見つかった。女性係官が、有無を言わせず没収するところはUSSR時代と変わっていない。しかし、彼女たちのミニスカートとも思えるやや短めの制服も変わっていないのもしっかりと確認した。

21時発SU163便でタシケントへ戻る。ここから現実が待ち受けていた。

モスクワ・リンク

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