モスクワ再び、2012年2月

3日間のモスクワ滞在、あれこれ散策したモスクワとその印象です。

回想モスクワ1985年、モスクワ・ヤロスラブリ駅到着

1985年7月8日、午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。横浜港を出てから足掛け10日目、途中イルクーツクで一泊したが、にしてモスクワへ到着。モスクワはユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の終着駅であり、ヨーロッパ各都市への始発駅でもあった。

2番線だろうか、プラットフォームに降り立ち、長時間の列車旅行でまだ足元がしっかりしない状態で荷物を背負い、遠くに見える東欧によく見られる建築様式の駅舎(屋根に特徴があった)へ向かって歩き始めた。

この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったインツーリストの添乗員マリーナらと出向いた。

バウチャーの説明では駅からホテルまでの車が用意されていた。私を担当したインツーリストの職員はナターシャといい、モスクワ大学東洋学大学で日本と日本文化を学んでいる女学生、夏休みの間アルバイトをしていると説明された。

ナターシャは、日本に滞在していた経験があり、子供のころNHKのロシア語講座にも出演していたそうだ。車が来るまでそんな世間話をして過ごした。

しばらくして、車が来てしまった。もう少し話をしたかったがそういうわけにもいかず、手配されたラーダより大きなボルガというブラックのセダンの後部座席に押し込められてしまった。

ホテルは、BDNKhの前にあるモスクワオリンピックに合わせて建設されたコスモスホテルだった。どこをどう走ったのか記憶にないが、車は非常に少なく道路は非常に広くヨーロッパのようなモスクワの町並みと箱型のビル群、多分住宅だろう、が窓から過ぎ去っていった。

新生ロシアの首都モスクワ

実に1985年7月以来となるモスクワ、既にソヴィエト連邦は崩壊し、新生ロシア連邦の首都として顕在している。今回は、ウズベキスタンのタシケントからモスクワへ旅行した。飛行時間4時間、もちろん航空会社はアエロフロートを利用した。

体制が崩壊して十数年、既にショック療法による市場経済化の推進は、エリツィン政権下でのマクロ経済政策の失策からプーチン政権に移行してからの経済運営の成功により完全に立ち直ったかのように私の目には映り、モスクワは最早ヨーロッパを代表する大都市のような印象だった。

20数年前のモスクワはもう完全に過去のものとなったのか、道行く人々や高級ブランドのウインドウ、広い道路を走るヨーロピアンブランドの自動車等、地下鉄や建物以外当時の面影はなく、ヨーロッパの一都市と変わらない。シェレメツェボ空港も然り、第2ターミナルが増設され、現在、第3ターミナルがオープン間近だという

シェレメツェボ空港

悪名高きシェレメツェボ空港、ソ連時代はトランジットでしか利用しなかったが今やその面影は名称のみだ。共産主義時代のパスポートコントロールは、かなり時間がかかった、パスポートの写真と本人をじっくり2-3度凝視されたものだ。

今回、当然確認はするもののすんなりと、特に待ち時間も長くなくスムーズな手続きだった。タシケント空港と比較すると、タシケント以外のどこの空港でもそう感じるのだろう、非常に快適と思えてしまう。

既にシェレメツェボ空港は第2ターミナルが供用され、近々第3ターミナルがオープンする予定である。

我々が到着したのはシェレメツェボ空港第2ターミナル、午前7時過ぎだったがまだ深夜のと同じような暗さ、入国手続き、税関(申告なし)を経て新生ロシアへ入国した。

そして両替所を探す。出たところに銀行窓口があり、100米ドルを両替した。税関の手前にも両替所があるがレートが非常に悪い。

そこから、Aeroexpressの駅を探す、サインには従うとどうも外のようだ。ターミナルビルから外へ出た正面にAERO EXPRESSのネオンサイン、小雪交じりの早朝、まだ連絡通路が工事中のため所々歩道を歩く。振り返ると少し明るくなってきた空を背景に「Sheremetyevo 2」という赤色のサインがビルの最上階に見えた。

シェレメツェボ空港
http://www.svo.aero/en/

Aeroexpress(空港から市内への移動)

2007年9月、Savelovsky駅とSheremetyevo空港を接続していた鉄道がBelarusky駅まで延伸が決定され、2008年6月、新駅舎の竣工とともにSheremetyevo1-2空港からBelarusky駅までAero Expressという直通列車の運行が開始された。

今回、この列車を利用、タクシーに乗らなくてもホテルまでは辿り着ける。運行頻度は30分毎、ベラルーシ駅まで所要35分、駅はターミナルの地下ではなく外にあり、少し歩くがこの程度は至便の範囲だろう。改札の前にスタバがあり、

その他のモスクワの空港へもAeroexpressが運行している。Vnukovo空港へはキエフ駅、Domodedovo空港へはPaveletsky駅と接続している。

http://www.aeroexpress.ru/en/

Domodedovo空港

Vnukovo空港

モスクワの地下鉄

Belarusky駅でAeroexpressを降り、Belarusskaya地下鉄駅へ向かう。駅からでて少し歩くと「M」のサインが見えた。地下鉄駅までは、両替所やキオスクなど集中し人通りが多い。

モスクワの地下鉄は1935年に開業、現在、12路線、総延長292,2km、一日9915本の列車が運行され、一日あたり約900万人の乗降客数である。最短の運行頻度は90秒と東京メトロよりも運行頻度が高い。地下鉄は、モスクワの都市交通機関における乗降客数の57%を占め、駅は宮殿のような装飾が施されていることでも知られている。

1985年当時の運賃は5カペイカ(1ルーブルの100分の1)、今回はR22(1回券)だった。荷物があるとR22追加。回数券(Multi-ride-ticket)があり、例えば10回分でR200、20回分でR380と割安かつ窓口が混んでいるので回数券は移動には必須である。タクシーだけでの移動ならばその限りではない。

今回、3日間なので20回券を購入、紙のカードを手渡された。磁気で回数券の情報が書き込まれているのだろう、改札にある検札用接触部(非接触ではない)にカードを接触させると残回数が表示される。旨く、検知されないとストッパーが降り通過できない。

Moscow Metro

赤の広場とクレムリン界隈

St.Basil' Cathederal

ホテルにチェックイン後、朝食を軽く取りながら散策会議をロビーのカフェで行い、先ずは、赤の広場へ行こうと事前打合せのとおり移動を開始する。 (地下鉄:Vladkino-Chekhovskaya/Tverskaya-Teatralnaya)

Chekhovskaya/Tverskayaで乗り換え、一つ目の駅Teatralnayaで降りる、この駅はボリショイ劇場の前に位置する。小雨が降る気温2-3度のお天気ながら、そこから人の流れが自然と赤の広場へ向かっていたので特に迷うことなく流れに乗って辿り着いた。1985年のときもそうだろうな、ホテルで行き方を聞いて地下鉄に
乗った。

◆赤の広場回想

赤の広場、個人的には感慨深い。20数年前、この広場を訪れたからだ。季節が違えどその時間経過の中での変化を思うとただただ佇んでいたいと思ったが、現実は寒い。

■回想

「1985年7月9日、爽やかな夏の日、モスクワの赤の広場に立った。今も記憶は鮮明だ。前日の夕方、ナホトカ航路シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、モスクワに到着したばかりで勇んで宿泊していたBDNKhのコスモスホテルから地下鉄で赤の広場まで行った。」

赤の広場は長方形で7.3haある。短辺のツベルスカヤ通り側に歴史博物館、その対面、モスクワ川側に聖ワシリー寺院、長辺はクレムリンとGUMである。そしてクレムリン側中央にレーニン廟がある。広場は石畳で緩やかにモスクワ側に向かって傾斜している。子供のころブレジネフ書記長が中央に立ち軍事パレード(5月1日の
メーデーと11月7日の革命記念日)が行われている様子はTVで見た記憶があるが今は昔だ。

結婚式を挙げたカップルが結婚登録(挙式)後に記念撮影のため訪れる定番地であり、小雨の降るお天気ながら数組のカップを見かけたことはソヴィエト時代と変わっていない行事のようだ。

■事件簿■

1987年5月28日に西ドイツの青年マチアス・ルスト(当時19歳)の操縦するセスナ機がヘルシンキから飛び立ち、赤の広場に強行着陸する事件が起きた。ルストは自由剥奪4年の実刑判決を受けるが翌年国外退去処分となる。小型機の侵入を防げなかったことでソ連軍は防空体制の甘さを糾弾され、セルゲイ・ソコロフ国防相はじめ防空軍総司令官らが更迭された。この事件は、当時のゴルバチョフ政権にとっては改革に反対する軍部の保守強硬派幹部を更迭する理由として、むしろプラスに働いた。(wiki)

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ちなみにクレムリンと赤の広場は世界遺産に登録されている(1991年)。

山本寛齋(1993年)やポール・マッカートニー(2003年)がここでイベントを開催、旭硝子のCMにも赤の広場が使われている。AGC、AGCと連呼するマトリョーシカは印象に残っている。

◆レーニン廟
今回も時間なくパス。設計者であるAlexey Shchusevはウズベキスタンの首都タシケントにあるナボイ劇場の設計者でもある。ナボイ劇場は第二次世界大戦後、日本人抑留者が建設に従事した代表的な建築である。

◆クレムリン
クレムリンというのは城塞を意味するロシア語であり、帝政ロシア時代、ソヴィエト時代を通して政府中枢がこの城塞内にあった。現在はロシア連邦の大統領官邸と大統領府が置かれている。

クレムリン宮殿内に武器庫があり兵器の展示と合わせて美術工芸品や貴金属類が展示されている。明治天皇がニコライII世の戴冠式に贈った象牙の鷲と刺繍入りの屏風も所蔵されている。

クレムリンの尖塔にはロシア国旗が掲揚されていたことが前回と大きく異なる点だった。今回も中には入らず仕舞い。

■GUM

GUMは、ロシア語のState Department Storeの略である。赤の広場の長辺に沿ってクレムリンと対峙する位置に19世紀末に建設された細長い建物巨大な建物だ。3階建て、3列のアーケードから構成されている。天窓があり照明を取り込む構造となっている。ヨーロッパでもこのような規模の歴史的な商業施設は記憶にない。

1985年にモスクワに来た時はこの建物が何なのかわからなかったが、堂々と赤の広場に面しているので不思議に思っていた。それで人の流れを良く見ていたらかなりの人がこの建物に吸い込まれていくのでその流れに乗ってみたらアーケードだった経緯がある。建物は同じだがテナントは当時の面影はない。当然のことだが。

現在のテナントは高級ブティックやインターナショナルブランドのショップが多く、ショーウインドウの性格が強いのでは。

Red Square tel. (+7) 495 788 43 43 Open 10:00 - 22:00.
Metro station: Pl. Revolutsy

http://www.gum.ru/en/

ul.Tverskaya ツベルスカヤ通り

ソ連時代にはゴーリキー通りと呼ばれていた。東京で言えば銀座だろうと聞いたツベルスカヤ通りだが、青山辺りを一緒にしたような印象だった。道路復員が広く反対側とのリンクはあまり感じられず、片側ごとに完結しているような印象だった。あまり時間なく本屋とレストランに立ち寄った程度、時間も遅く直ぐに暗くなってしまった。オポトニリャト駅からプーシキンスカヤ駅までも歩いていないので出直し対象だな。

Cathderal of Christ the Caviour 救世主ハリストス大聖堂とモスクワ都市計画

宗教を否定した共産主義はソヴィエト宮殿建設用地となった救世主ハリストス大聖堂はお取り壊しの命が下され、1934年に爆破されたという。現在のはソ連邦崩壊後、モスクワ市のイニシアチブにより再建されたもの。

プーシキン美術館の目の前にモスクワ川沿いに建っている教会が救世主ハリストス大聖堂という、ソ連時代に共産主義都市計画が優先され破壊された教会で、連邦崩壊後、モスクワ市長のイニシアティブにより再建された。政治的な理由により数奇な運命を辿っている。

1931年、ソ連共産党の党大会議場となる「ソビエト宮殿」の国際建築設計コンペが公示された。コルビジュエもこのコンペに参加しているが、ソ連の建築家が一等になるのは予測済みだったことだろう。この宮殿の建設予定地が救世主ハリストス大聖堂なのだ。

1934年に公開された最終的な案では、頂上部には高さ80mの巨大なウラジーミル・レーニン像が立つ姿、土台部分はまた円形へデザイン変更され、そして第二次大戦後の1947年、モスクワ建都800年に合わせてスターリンは世界の模範的首都としソビエト宮殿を含むモスクワ復興と共産主義国家の首都モスクワの建設を指示し
た。そしてモスクワの7つの丘を象徴する7つの高層ビル建設を進めたのです。その核となるソヴィエト広場はスターリンの死とともに計画だけで終わったがその敷地であった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月5日に爆破された。

救世主ハリストス大聖堂の跡地では基礎工事が始まっていたものの戦争の影響で資材を流用、戦後、本格的に建設工事が始まったが、1953年のヨシフ・スターリン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに「ソビエト宮殿計画」を白紙に戻してしまった。

宙に浮いたソビエト宮殿建設用地は、基礎工事が中断したまま放置されていたが、1958年から直径129.5mもある世界最大級の野外温水プール「モスクワ」が建設された。

ソ連崩壊後、大聖堂の再建機運が高まり、温水プールは閉鎖され、1995年1月7日に再度モスクワ市がイニシアチブを取り、巨費を投じて宮殿基礎やプール施設を撤去し、大聖堂再建がスタートし2000年8月19日に「救世主ハリストス大聖堂」が竣工した。

ということで信じられないことがソヴィエト時代には行われていたのだ。共産主義という専制政治とは何だったのか、考えさせられる一面に触れたのでした。

◆スターリン様式の建築(セブンシスターズ)
前述の通り、モスクワ宮殿建設と同時にニューヨークの摩天楼と競おうと思ったのかモスクワのランドマークとなるスターリン様式の以下の高層ビルが1930年代にモスクワの都市計画の一環として計画され、7棟建設された。これらのデザインは旧共産主義圏において、ソ連からのプレゼントと称してコピーが存在する。
文化科学宮殿、どこでも同じ名称なのか、ワルシャワとリーガは記憶にある。

1.モスクワ大学本館
2.ロシア連邦外務省
3.ロシア連邦運輸機関建設省
4.文化人アパート
5.芸術家アパート
6.ウクライナ・ホテル
7.レニングラード・ホテル

Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection)

最寄の地下鉄駅で下車、地図を見ながらトレチャコフギャラリーを探して辿り着 いたのだが静か過ぎる。門の前に休刊の説明、なんとトレチャコフは休館だった。 そこからまた地図を見てプーシキン美術館までモスクワ川を渡り歩くことにした。 風が強く寒かったな。でも、モスクワ川とクレムリンを背景に記念写真を取ることができた。やっぱり旅は歩かないとね、でも寒かった。

Tretyakov Gallery

http://www.tretyakovgallery.ru/en/

トレチャコフ・ギャラリーからぷらぷらと歩き、プーシキン美術館にはやっとのことで辿り着いたが入り口がわからない。道行く人に聞いたら建物の横だという。目的は本館ではなくEuropean Collectionセクションだ。本館へ入って入場料を払う窓口でここではく隣だと告げられた。それでやっと暖かい場所に落ち着けてほっと一息したが直ぐにコートを着て隣のEuropean Collectionへ向かった。隣といっても敷地が大きいので数分はかかった。隣のブロックに細長い建物がありそこがEuropean Collection、これまた建物正面でなく横が入り口だった。観光バスが横付けされていたのでどんなに多くに人が入場しているかと思ったら、かなり空いていた。

このEuropean Collection、ガイドブックにあるように印象派コレクションが豊富だった。目の前でルノワールをじっくり鑑賞した。高校生だろうか、先生が絵の前に立ち、かなり長い時間説明していた。ここはまた一人でじっくり訪れてみたい美術館だ。

Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection)

http://www.museum.ru/gmii/defengl.htm

Tretyakov Gallery

http://www.tretyakovgallery.ru/en/

ul. Arbat アルバート通り

モスクワの原宿との前情報、モスクワの代表的な観光地としてどのガイドブックにも紹介されているアルバー
ト通り、ニューアルバート通りもあるが今回は道草が多かったので割愛となった、誰かがモスクワの原宿だとか言っていたな、歩行者天国なので歩くには非常に快適だ、以前は露天商が多かったようだが最近規制され、その姿はほんの僅かになってしまった。ソヴィエト時代のプロパガンダポスターを売っていたので買いたかったがパス。

ヨルキ・パルキで遅いランチを食べた。タシケントにもある通称ロシアンファミレス、ここで、本場?のボルシチとサーモングリルを食べた。値段も味もリーズナブル。ウドンヤサンという和食レストランもあったが、もう一つ胃があってほしかったな。こちらも事前情報でリーズナブルだと聞いていたモスクワの和食だ。

アルバート通りはショッピングストリート、両側にショップがずらりと並んでいる。低層なので圧迫感がない。お天気も悪いし、日没も早いので4時ごろには暗くなっていて写真も撮りにくかった。わがD300をISO3200に設定してもブレてしまうだろう。

土産物屋も多く、その中の一軒で知人に頼まれていたスタンダードなマトリョーシカを購入した。450ルーブルだっただろか。モスクワにはマトリョーシカ市場なるものがあり、本来は出向いていきたいところだが時間が限られているので仕方がない。この通りの端にスターリン様式の外務省がある。少し見えたかな。

今時のモスクワはスタバ、マクドナルド等米国文化も当然存在し、このような場所では格好の立地となっている。マクドナルドは一度試したがスタバは入らなかった。タシケントには絶対にありえないファーストフードだ。

アルバート通りの端にSmolenskayaという地下鉄駅がある。キエフ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが寒さと暗さで地下鉄を利用、Kievskayaまで行った。

Evropeisky S.C.

キエフ駅前にある巨大な複合ショッピングセンター、地下鉄から地上へ上がると視界に入ってくる。モスクワのショッピングモールがどんなものかと事前に情報を聞いていたので物見遊山的にのぞいてみた。5階までがショップ、高級ブランドもテナントとして入居しているがそれ以外も多い、地下にスーパーマーケット、7階にスケートリンク、5-6回は駐車場。フードコートやレストランも多い。とにかく巨大だ。ヨーロピアンブランドからロシアンブランドまで幅広くカバーし、巨大なデパートといった印象だ。

Yaroslavsky/Leningrad Stations

シベリア鉄道の起終点であるモスクワ・ヤロスブラリ駅、1985年の7月、横浜からナホトカ航路シベリア鉄道でこの駅に着いた。それゆえ現在はどうなっているのかと駅まで行ってみた。基本的には大きな変化は無く、夜遅くだったので暗闇の中で到着した2番線プラットフォームまで行ってみた。

それから、隣接してレニングラード駅がある。当時、この駅から「赤い矢号」でレニングラードへ移動した。このときの記憶は薄い。インツーリストの車にコスモスホテルから送ってもらい、そのまま夜行列車に乗り込んだのだろう。

Novodevichy Convent

準備中

 

Gorbushka Market

モスクワの秋葉原といわれる電気屋街、もともとは工場。

http://www.msu.ru/en/

Business District in Moscow

Moscow Intrnational Business Centre

モスクワの代表的なビジネス・ディストリクトである、MIBCは1992年にモスクワ市役所により構想されロシアで最初の商業・業務地区、住宅地区及び娯楽施設地区を含む複合開発となる予定、また、開発は一開発として実施され、敷地面積100ha(1km2)、総事業費12 bil.米ドルと見積もられている。MIBCの用地は、Presnensky Districtに位置し、モスクワ環状3号線に隣接する。用地は、元工場が多く、ソヴィエト連邦崩壊後、操業停止など未利用となっていた。

建設は1999年に開始され、2004-2010に竣工する予定、敷地は20ロットに分けられそれぞれ以下のプロジェクトが実施中、若しくは竣工している。

MIBCへのアクセスのためmini metro (5.85km)が建設され、Dorogomilovskaya, International、Moscow–Cityの3駅を含む、2005年9月に供用を開始している。

Plot 0 ― Tower 2000
Plot 1 ― Expo center
Plots 2,3 ― Wedding Palace
Plot 4 ― Imperia Tower
Plots 6,7,8 ― Central Gallery
Plot 9 ― City of Capitals
Plot 10 ― Naberezhnaya Tower
Plot 11 ― Transport Terminal
Plot 12 ― Eurasia Tower
Plot 13 ― Federation Tower
Plot 14 ― Mercury City Tower
Plot 15 ― City Hall and City Duma
Plot 16 ― Office-Hotel space
Plots 17,18 ― Russia Tower
Plot 19 ― Northern Tower
Plot 20 ― Exhibition business complex

Link:

Moscow International Business Centre

Federation Tower Moscow

MOSCWO-CITY (eng)

MIRAAX GROUP

ICUBE

MIBC(designbuild-network.com)

Gazprom City (Okhta Centre)

 

Okhta Centre

モスクワ諸情報

準備中

準備中

モスクワ・リンク

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