モスクワ再び

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モスクワ再び2010年

 

2010年初頭のトランジット

 

25年ぶりのコスモスホテル

モスクワの1時方向にVDNKhという全ソヴィエト博覧会場があり、その前にコスモスホテルというモスクワオリンピック(1980年)に合わせて建設されホテルがある。今回の宿は、そのコスモスホテルだ。1985年にソ連時代のモスクワを訪れたときに宿泊した。ソ連崩壊後も当時と同じ名称でそのホテルが運営されていることは
ウェブを通して知っていたのでどんな状況なのかと思い興味津々であった。

ホテルはほとんど当時のままなので世界遺産に登録できるのでは思う。それほどソ連時代の印象を色濃く残している、ソ連が崩壊して20年近くも経っているのだ。(ドゥシャンベのタジキスタンホテルもそうだった。)まあ、ロビーに店が増えて少しごちゃごちゃした印象だ、それに、中華料理の看板は邪魔だな。ホテルの部屋からの風景、ホテルの前にフライオーバーが出来たこととモノレールが走るようになったのでちょっと視界を遮るが、基本的に当時と変わらない。
VDNKhの門、これは凱旋門のような建物、それから宇宙飛行士博物館なのか記念碑なのか正式名称を失念したが、天に向かうようなデザインなので記憶に残りやすい。

VDNKhの奥には15の噴水があり、当時、好意で案内してくれたインツーリストのマリナにソヴィエトは15共和国から構成されると教えられた噴水だ。そんな記憶を辿るような窓からの変わらないモスクワを眺めた。

部屋の内装も家具も当時のまま、色が褪せたりしているが変わらないところがロシアなのかと納得。ベッドの横のチェアは当時も今も座り心地はとてもよく、機能的に変わらない、ただ当時はまだ真新しかったが。各階に鍵を管理する小母さんがいたが現在は廃止され、レセプションでもらう、鍵はマニュアルキーから電
子キーになっていた。

ロビーの横にカフェがあり、夜遅くその前を歩いていると一人のロシア娘が話しかけてきた、それも偉そうにだ。

Do you speak English?

そして次の言葉は
Do you like Russian girls? It is $220!

当時はもう少しセンスのある話しかけ方をしていたと思うが、ホテルの質がそうなったのだろうか、それになぜ$220という端数なのかよくわからなかった。ソ連時代は外国人が宿泊できるホテルが限られており、その中のひとつがこのコスモスホテルだった。選択肢も多くなく、宿泊者は泊めてもらうという感じでイン
ツーリストのアレンジに従うしかなかった。

今時の予約はオンラインで簡単に出来る。興味のある方は下記サイトどうぞご覧下さい。

http://www.hotelcosmos.ru/ehome.html

日本便、シェレメツェボ空港の発着ターミナル変更

2010年3月29日(SU575/576便)より、モスクワ・シェレメツェボ空港における東京線
の利用ターミナルが「ターミナルD」へ変更されています。

というアエロフロートのお知らせがありました。

シェレメツェボ空港、さてターミナルはいくつあるかというと
1.シェレメツェボ1(B)
2.シェレメツェボ2(F)
3.ターミナルC
4.ターミナルD
5.ターミナルE
6.ターミナルA(予定)

ターミナル変更のスケジュールを見るとほとんどのフライトがDへ移転しているのでターミナルFは改装工事でもするのだろうな。

アエロフロート日本支社のサイトではシェレメツェボは「チェレメチェヴォ」と表記されていた。どっちが正しいのだろうか・・・。

ターミナルDへ変更されたフライト
http://wwww.aeroflot.ru/templates/before_and_after_fly_en/terminal-d.html

ターミナル変更は以下に説明があります。
http://japan.aeroflot.aero/document.asp?ob_no=1594

Dの位置はこちら。
第一ターミナルは2010年夏以降「ターミナルB」へ名称変更し、ターミナルC及びターミナルDの名称はそのまま。2010年上半期にターミナルEが、更にターミナルA(オープン時期未定)がオープン予定です。
http://japan.aeroflot.aero/document.asp?ob_no=1590

対独戦勝記念日、2010年5月

対独戦勝記念65周年パレード、ビデオ

The Voice of Russia(Video)
http://japanese.ruvr.ru/2010/05/12/7711012.html

モスクワ・リンク

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