モスクワ散策
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04郷愁のキエフ駅
3日間のモスクワ滞在、あれこれ散策したモスクワとその印象です。
今回のトラベルプラン(フル2泊4日)
Date | Schdule in Moscow | Hotel |
2009年11月21日(土) | Dep. 04:50 Tashkent (SU164) Arr. 07:15 Moscow-Sheremetyevo2 The Red Square, GUM, Tverskaya ul. , etc. |
Maxima Hotel Zarya |
2009年11月22日(日) | Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection), Cathderal of Christ th Caviour, ul. Arbat, Evropeisky SC., etc. |
Maxima Hotel Zarya |
2009年11月23日(月) | Novodevichy Convent, Moscow State Univ., Gorbushka Market, etc. Dep. 21:00 Moscow-Sheremetyevo2 (SU163) |
On board |
2009年11月24日(火) | +1 Arr. 03:05 Tashkent |
参加者:4名(中央アジア・ユーラシア地域と開発研究会)
1985年の旅程(USSR1985)はこちら。
04郷愁のキエフ駅
二日目後半、Arbat通りのヨルキ・パルキで遅いランチをとり、通りの端にあるSmolenskayaという地下鉄駅から一駅乗り、Kievskayaまで行った。本来ならキエフ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが寒さと暗さで地下鉄の利用となった。
ソ連時代、この駅からドニエプル号という夜行列車でキエフへ旅立った。当時はインツーリストのお抱えなので自前で行動することはほとんどなく(できなかったのだが)ボルガ(ソ連製の乗用車、ハイヤーの代用だろう、タクシーの場合はLadaなので)で市内を移動した(個人旅行といえどもインツーリストは外国人に対してこのようなもてなしだった)。宿泊していたコスモスホテルからここキエフ駅への移動もそうだった。コスモスホテルは北部に位置し、キエフ駅は南西部、何れも環状3号内ではあるが、どこをどのように走ってきたのかまったく記憶にない。広い道路に少ない交通量、渋滞など考えられる状況にはなかった。今回は一駅都心のSmolenskaya駅から地下鉄を利用、キエフ駅はコムソモルスカヤ駅に匹敵するほど芸術的な駅だった。地下鉄駅からロシア鉄道のキエフ駅へ向かう。モスクワの地下鉄駅とロシア鉄道駅との連絡は一般的によくない、というのは駅の名称が異なったり、連絡通路がなく、外へ出て少し歩くことが多い。しかし、ここキエフ駅は地下鉄駅の上がキエフ駅だった。
キエフ駅はシティーエアーターミナルとなっているようで、この駅でフライトのチェックインができるようになっていた。モスクワを留守している間にここまでサービスレベルが向上しているとは予想もできなかった。我々がシェレメツェボ空港から利用したアエロエキスプレスがキエフ駅からVnukovo空港まで35分でサービスしている。恐るべしモスクワ!
キエフ駅を訪れた目的は単なる郷愁のトレースと現在の駅の状況把握であった。1985年当時、どうやって夜行列車に乗ったのか定かではないが二等寝台車で快適な列車の旅であり、翌朝にはドニエプル川の鉄橋をゆっくり渡るゴトゴトと言う音で目覚めた。
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/
出来立てホヤホヤ、ヨーロッパ・ショッピングセンター
Kievsky Vakzalの目の前にある巨大なショッピングセンター、建設中にヨーロッパ最大の床面積のショッピングセンターと言われた近代的なショッピングセンターが一ブロック丸ごと占めている。
流行の複合ショッピングセンターで5階までがショップ、高級ブランドもテナントにあるがそれ以外も多い、地下にスーパーマーケット、シネコン、7階にスケートリンク、5-6回は駐車場。フードコートやレストランもある。冬季はこの中で一日過ごせてしまえそうだ。
小規模でもいいからもう少しバラけているとカスタマーにとっては便利なのだがどうもロシアは巨大集積型がお好みらしい。それにモータリゼーションをも非常に意識している。
ショップ、ショップ、ショップ、並ヨーロッパブランドから高級ヨーロッパブランド、ロシアブランドなど様々なテナントが入居している。はっきり言って西側ブランドはヨーロッパの値札の1.5倍である。ぶらぶらしていたら見慣れた看板を発見、HUBERで下着を購入したが、ウィーンの2倍近い値段だ。だれがこんな理不尽な値段設定を受け入れているのか不思議なのだが、とにかく客の入りは非常によい。
4階にあったパソコンショップでD300とPCを接続するUSBケーブルを忘れてきたのでここで調達した。その横にアップルストア(アップル製品を販売しているだけだろうか不明)があったのでiPhoneがあるか聞いてみたが、ここでは販売していないこととガルブーシュカ(モスクワの秋葉原)で購入できるという。
ユニクロが2010年春にモスクワに進出するというニュースを聞いていたのでこのショッピングセンターなのではと勝手に想像していたが、地下鉄Kurskaya駅前のAtriumということを後から知った。
Evropeisky SC.
Kievskaya pl. 2
tel.(+7) 495 921 34 44
Open 10:00 - 22:00, Sat, Sun 10:00 - 23:00
Metro station: Kievskaya
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/
モスクワのイタリアンレストラン(Evropeisky SC.内)
夕飯に何料理を食べようかと内輪で話しているときに最長老から、イタリアンにしようとのリクエスト、これには伏線がありランチ時からイタリアンという問いかけがあったが誰もそれには答えていなかったのだ。
料理が先かレストランが先か、ほとんど地の利がないモスクワ、料理よりも適当なレストランを探すことが先決なのだ。ショッピングセンターだからあるだろうと、大船に乗ったつもりで探す。外から見るとなにやらイタリアンとかいうサインが見える。じゃそこにしようと即決。
2階にあるAcademiaというイタリアンレストランで夕飯を食べることにした。このショッピングセンターを出てどこへ行くのか、あてもなく時間だけが過ぎていくような気がしたので適切な選択だったと思う。
日本人がイタリアンというと=パスタとなってしまうが、メインはメインで美味しい料理もあるのだが、ご他聞に洩れず、パスタを注文することになった。ピザとスパゲッティ。もっとも簡単な前菜だがイタリアンファーストフードともいえるだろうか、麺文化の我々にはメインにもなる便利な料理だ。
普通のピザとパスタであったが、これらもまともに出すレストランの少ない国の首都から来た我々は何度も何度も感動したものである。値段は東京並み、東京よりコストパフォーマンスは低いが、まあ昨晩と比べれば格段の満足度であったことは言うまでもない。私はビールの味がわからないしあまり好んで飲まないが、旨いビールだったようだ。ロシアビールといえばバルチカしか知らないが。
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077650652/show/
シベリア鉄道終着駅ヤロスラブリ駅と芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
この周辺は危険地帯なので夜遅くなってからは行かないほうがよいとモスクワに住んでいた商社マンに忠告された地区であるが、ここを訪れずモスクワを離れることは己が許さないであろう、夕飯の後、ベラルーシ駅での荷物預かりを確認してからヤロスラブリ駅へ地下鉄で向かった。
ソ連時代からこの付近(ヤロスラブリ駅とレニングラード駅が隣接している)、レニングラード駅の横は娼婦街といわれていた。人通りがあるし、こんな大きな駅の構内が危険というのが解せない。まあ、その横の路地裏ならヨーロッパの大都市の駅とて非常に危険だ、ベルリンやフランクフルトは私の経験では非常に顕著だった。当時は麻薬中毒と売春婦はワンセットだったと思うがこれは今も同じことなのだろう、それに加えてロシアではネオナチという民族主義の若者が我が物顔でアジア系を狙うという実しやかな情報が流れている。実際、日本人も被害
にあっている。中央アジア系に間違われたのだろう、ロシアでは日本人と承知で襲うことは考えにくい、強盗は別だが。ただ、驕ってはいけない。
前置きが長くなったが、このヤロスラブリ駅、シベリア鉄道の起終点だ。ヨーロッパと同じ、行き先が駅名になっている。ヤロスラブリはシベリアではない、モスクワから東には行くがウラル山脈よりずーと手前の都市だ。
シベリア鉄道はこのモスクワのヤロスラブリ駅とウラジオストク駅を結んでいる全長9297km、ロシア号はモスクワ-ウラジオストク間を7日で走破する。1985年当時のソ連邦時代はウラジオストクが軍港のため外国人の立ち入りが禁止され、ナホトカがシベリア鉄道の起終点になっていた。
日本からは、横浜港大桟橋からナホトカ港へ、そして、ナホトカから極東鉄道を経由してシベリア鉄道へ合流し、ハバロフスクでロシア号に乗り換えた。実際、ナホトカを出てしばらくするとシベリア鉄道に合流する。
1985年7月8日16時40分、ロシア号でヤロスラブリ駅、確か、2番線に到着したのだ。そのときの記憶を頼りに行ってみた。既に21時を回っていたが人通りは多く、これから列車が出発するのだろう、小雨が降る中、プラットフォームへの人の流れが絶えなかった。駅全体が私の記憶と異なるのはキオスクが多くなったことと、改札らしき施設ができていたことだろうか。でも、2番線へは改札はなかったな。駅舎の前に到着と出発の時刻表が掲示されていた、2番線ウラジオストク行き21:25というスケジュールが見える。
http://www.flickr.com/photos/yha229/4218297364/in/set-72157623077690342/
1985年のヤロスラブリ駅
http://1985.iio.org.uk/ussr/siberia_moscow.htm
□芸術的な地下鉄Komsomolskaya駅
ヤロスラブリ駅とレニングラード駅の地下鉄駅がKomsomolskaya駅である。マリアテレジアンイエロー?とモザイクがまるで宮殿の中にいるような地下鉄駅、これは絶品である!
http://www.flickr.com/photos/yha229/sets/72157623077690342/show/
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