モスクワ散策
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03モスクワの歴史と芸術
3日間のモスクワ滞在、あれこれ散策したモスクワとその印象です。
今回のトラベルプラン(フル2泊4日)
Date | Schdule in Moscow | Hotel |
2009年11月21日(土) | Dep. 04:50 Tashkent (SU164) Arr. 07:15 Moscow-Sheremetyevo2 The Red Square, GUM, Tverskaya ul. , etc. |
Maxima Hotel Zarya |
2009年11月22日(日) | Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection), Cathderal of Christ th Caviour, ul. Arbat, Evropeisky SC., etc. |
Maxima Hotel Zarya |
2009年11月23日(月) | Novodevichy Convent, Moscow State Univ., Gorbushka Market, etc. Dep. 21:00 Moscow-Sheremetyevo2 (SU163) |
On board |
2009年11月24日(火) | +1 Arr. 03:05 Tashkent |
参加者:4名(中央アジア・ユーラシア地域と開発研究会)
1985年の旅程(USSR1985)はこちら。
トレチャコフ・ギャラリーとプーシキン美術館
この日の予定は、トレチャコフ、プーシキン美術館、Arbat通り、キエフ駅とその隣のショッピングセンター、ヤロスラブリ駅でしたが、プーシキン美術館の前にある救世主ハリストス大聖堂に立ち寄った。小雨が降る肌寒いお天気ながら、クロポトキンスカヤ駅からArbat通りを歩いた。
最寄の地下鉄駅で下車、地図を見ながらトレチャコフギャラリーを探して辿り着いたのだが静か過ぎる。門の前に休刊の説明、なんとトレチャコフは休館だった。そこからまた地図を見てプーシキン美術館までモスクワ川を渡り歩くことにした。風が強く寒かったな。でも、モスクワ川とクレムリンを背景に記念写真を取ることができた。やっぱり旅は歩かないとね、でも寒かった。
Tretyakov Gallery
http://www.tretyakovgallery.ru/en/
トレチャコフ・ギャラリーからぷらぷらと歩き、プーシキン美術館にはやっとのことで辿り着いたが入り口がわからない。道行く人に聞いたら建物の横だという。目的は本館ではなくEuropean Collectionセクションだ。本館へ入って入場料を払う窓口でここではく隣だと告げられた。それでやっと暖かい場所に落ち着けてほっと一息したが直ぐにコートを着て隣のEuropean Collectionへ向かった。隣といっても敷地が大きいので数分はかかった。隣のブロックに細長い建物がありそこがEuropean Collection、これまた建物正面でなく横が入り口だった。観光バスが横付けされていたのでどんなに多くに人が入場しているかと思ったら、かなり空いていた。
このEuropean Collection、ガイドブックにあるように印象派コレクションが豊富だった。目の前でルノワールをじっくり鑑賞した。高校生だろうか、先生が絵の前に立ち、かなり長い時間説明していた。ここはまた一人でじっくり訪れてみたい美術館だ。
Pushikin State Museum of the Fine Arts (European Collection)
http://www.museum.ru/gmii/defengl.htm
救世主ハリストス大聖堂とモスクワ都市計画(Cathderal of Christ th Caviour)
プーシキン美術館の目の前にモスクワ川沿いに建っている教会が救世主ハリストス大聖堂という、ソ連時代に共産主義都市計画が優先され破壊された教会で、連邦崩壊後、モスクワ市長のイニシアティブにより再建された。政治的な理由により数奇な運命を辿っている。
1931年、ソ連共産党の党大会議場となる「ソビエト宮殿」の国際建築設計コンペが公示された。コルビジュエもこのコンペに参加しているが、ソ連の建築家が一等になるのは予測済みだったことだろう。この宮殿の建設予定地が救世主ハリストス大聖堂なのだ。
1934年に公開された最終的な案では、頂上部には高さ80mの巨大なウラジーミル・レーニン像が立つ姿、土台部分はまた円形へデザイン変更され、そして第二次大戦後の1947年、モスクワ建都800年に合わせてスターリンは世界の模範的首都としソビエト宮殿を含むモスクワ復興と共産主義国家の首都モスクワの建設を指示し
た。そしてモスクワの7つの丘を象徴する7つの高層ビル建設を進めたのです。
その核となるソヴィエト広場はスターリンの死とともに計画だけで終わったがその敷地であった救世主ハリストス大聖堂は1931年12月5日に爆破された。救世主ハリストス大聖堂の跡地では基礎工事が始まっていたものの戦争の影響で資材を流用、戦後、本格的に建設工事が始まったが、1953年のヨシフ・スターリン死後、ニキータ・フルシチョフやゲオルギー・マレンコフはついに「ソビエト宮殿計画」を白紙に戻してしまった。
宙に浮いたソビエト宮殿建設用地は、基礎工事が中断したまま放置されていたが、1958年から直径129.5mもある世界最大級の野外温水プール「モスクワ」が建設された。
ソ連崩壊後、大聖堂の再建機運が高まり、温水プールは閉鎖され、1995年1月7日に再度モスクワ市がイニシアチブを取り、巨費を投じて宮殿基礎やプール施設を撤去し、大聖堂再建がスタートし2000年8月19日に「救世主ハリストス大聖堂」が竣工した。ということで信じられないことがソヴィエト時代には行われていたのだ。共産主義という専制政治とは何だったのか、考えさせられる一面に触れたのでした。
スターリン様式の建築(セブンシスターズ)
前述の通り、モスクワ宮殿建設と同時にニューヨークの摩天楼と競おうと思ったのかモスクワのランドマークとなるスターリン様式の以下の高層ビルが1930年代にモスクワの都市計画の一環として計画され、7棟建設された。これらのデザインは旧共産主義圏において、ソ連からのプレゼントと称してコピーが存在する。文化科学宮殿、どこでも同じ名称なのか、ワルシャワとリーガは記憶にある。
1.モスクワ大学本館
2.ロシア連邦外務省
3.ロシア連邦運輸機関建設省
4.文化人アパート
5.芸術家アパート
6.ウクライナ・ホテル
7.レニングラード・ホテル
Gogotevsky bul.からul. Arbatへ
地図を見たところ、救世主ハリストス大聖堂からArbat通りまでは徒歩圏であり並木道が続いている(冬なので寒々としていたが)ので歩くことにした。クロパトキンスカヤ(Kropotkinskaya)駅を抜けGogotevsky bul.の終わりがArbat通りの始点である。
クロパトキンスカヤ駅はその上が小規模なショッピングストリートになっていて小さな店が並んでいた。その外れにビアード・パパというシュークリーム屋があった。どこかで聞いたような、そうだ、マニラのグリーンヒルズだ。実はこのシュークリーム屋、日本では全国展開しているようだが私は日本では食べたことがなかった。
同行者の一人がタシケントからリクエストされていたシュークリームだということになりここで買い求めることになった。救世主ハリストス大聖堂で戻ってこない仲間がいたのでかなり時間を費やしてしまい先を急いでいたが、ここで更に時間を費やすことになった。旅は道連れ世は情けだ。
この店、モスクワでは2009年2月4日にオープンしたばかり、株式会社麦の穂という会社が経営しているとは初耳であった。都内だと東急東横店に店があるようだが記憶にない。
http://www.muginoho.com/company/globalInfo.html
Arbat通りの手前のコスメチックショップでリップクリームを買った。唇がカサカサで割れてしまうのではと心配していたのだ。ニベアのリップクリームだった、それから、ハンドクリームもここで調達、値段はヨーロッパと同程度だった。タシケントに戻ってからスーパーマーケットで同じものが販売されていたので値段をチェックしたらこちらのが高かった。この通り、夏季は清々しいだろうと思う。
Arbat通りとヨルキ・パルキ(ロシアン・ファミレス)
モスクワの代表的な観光地としてどのガイドブックにも紹介されているアルバート通り、ニューアルバート通りもあるが今回は道草が多かったので割愛となった、誰かがモスクワの原宿だとか言っていたな、歩行者天国なので歩くには非常に快適だ、以前は露天商が多かったようだが最近規制され、その姿はほんの僅かになってしまった。ソヴィエト時代のプロパガンダポスターを売っていたので買いたかったがパス。
ヨルキ・パルキで遅いランチを食べた。タシケントにもある通称ロシアンファミレス、ここで、本場?のボルシチとサーモングリルを食べた。値段も味もリーズナブル。ウドンヤサンという和食レストランもあったが、もう一つ胃があってほしかったな。こちらも事前情報でリーズナブルだと聞いていたモスクワの和食だ。
アルバート通りはショッピングストリート、両側にショップがずらりと並んでいる。低層なので圧迫感がない。お天気も悪いし、日没も早いので4時ごろには暗くなっていて写真も撮りにくかった。わがD300をISO3200に設定してもブレてしまうだろう。
土産物屋も多く、その中の一軒で知人に頼まれていたスタンダードなマトリョーシカを購入した。450ルーブルだっただろか。モスクワにはマトリョーシカ市場なるものがあり、本来は出向いていきたいところだが時間が限られているので仕方がない。この通りの端にスターリン様式の外務省がある。少し見えたかな。
今時のモスクワはスタバ、マクドナルド等米国文化も当然存在し、このような場所では格好の立地となっている。マクドナルドは一度試したがスタバは入らなかった。タシケントには絶対にありえないファーストフードだ。
アルバート通りの端にSmolenskayaという地下鉄駅がある。キエフ駅までモスクワ川を渡って歩いてきたいところだったが寒さと暗さで地下鉄を利用、Kievskayaまで行った。
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